消費される音楽

10月26日木曜日。

先日読んだ本の中で、昨今の音楽は何かをしながら鑑賞されていてインスタントに消費されているといった、そういう行動を咎めるような主旨の文章があった。確かに移動中にイヤホンをつけて、SNSを見ながら、歩きながら音楽を聞く人は相当多いように思う。ただ、私にはあまりそれは誰かに咎められるようなことには思えなかった。音楽に関わる人間の端くれとして本当は少しでも怒りの感情を持たないといけないのかもしれないが、少なくとも日常の無音を埋めるためであろうが、触れようと思うから聴いてもらえるのだ。その途中でふと音楽に思考が集中する瞬間があって、メロディーや歌詞がその人に何らか影響を及ぼしたならもう既に十分ではないだろうか。

様々な人が行き交う世界の中で、みんな自分の手元にある世界に手一杯になっていて、そこに集中するために音楽で雑音をかき消したいという気持ちの人もいるだろうし、好きな音楽家やアーティストの音や声を聞くだけで元気が出る人もいるのだろう。そういう人たちが少しでも前向きになれたり、孤独を埋められたりすることもきっとあるのだから「ながら消費」されることは何もネガティブなことではないと思う。

今日もまた、世界では戦争や犯罪が起こっている。身近な場所でも知らないだけできっと起こっている。音楽に携わる者の端くれとして誰かの何かを一瞬でも埋められたら、私には十分意味があるように感じるのだ。