田園と凍土

1月23日月曜日。

嵐のような年末年始が過ぎ去った。
今年はちゃんと里帰りをしようということだけは決めていた。だから昨年末はまとめて休みにした。12月22日に帰省をし2週間近くもの間、鳥取にいた。
ただ別に早く戻ったからと言って何をするわけでもない、ただ慌ただしい周囲の人波を横から見るだけだ。普段生活している関西ではではなかなか過ごすことのできない、ゆったりとした時間にひたすら身を任せていた。

鳥取に帰っている間は楽器は持たないと決めていた。だからヴィオラは持って帰らなかった。
不思議なもので、”何が何でも演奏はしない”と心に決めていても、それが近くにあるとなぜか手に持ってしまう。そして手に持ってしまうと、自然と音を出してしまうのだ。こうなると最後、もうだめだ。昔弾いた曲のうち、まだ記憶の片隅に残っている(正確には頭で覚えていなくても構わない、別に実際に弾くのは手だから)曲を片端から弾き出してしまう。私は断じてヴィオラという楽器が心から好きなわけではないし、むしろ数年前から私はそれから距離を置くことさえ望んでいる。しかしなぜだろう、なんだかんだいってやめてはいないし、現に今も楽団にて演奏を続けている。そしておそらくこれから数年もやめないだろう。と、いうよりヴィオラを手放した自分の姿を想像することができない。

あーあ。
こんな調子だから結局周りの人間には、私がヴィオラを心底愛しているように映る。本当にひどい話だ。

今回の里帰りにあたり意気揚々と楽器ケースを京都に置いてきた私であったが、あっけなくその壮大で稚拙な目論見は崩れた。
実家に私が高校時代まで使っていた楽器が残っていたのである。

結局私は、せっかく手に入れた安息の2週間のほとんどを、1年ぶりの故郷で特にすることもない私は”弾きたくもない魅力的なコンチェルト”の練習に充てることになるのである。