久しく棄てて顧みなかったこの日記を開いて、筆を把ってこれに臨んだのは何の為めであるか。或る閲歴を書こうと思ったからではないか。なぜその閲覧を為す勇気があって、それを書く勇気がないか。それとも勇気があって敢て為したのではなくて、人に余儀なくせられて漫りに為したのであるか。漫りに為して恥じないのであるか。
森鷗外である。
鷗外は島根県出身で、今でこそ“お隣”と言えるが、鷗外が誕生してから1871年の廃藩置県までは、鷗外の石見国と私の因幡国の間には伯耆国、出雲国があり、気軽に”お隣”と言えるものではないのである。
先日大阪出身の友人と国の話になり、友人が「大阪と言っても摂津と河内と和泉では全然文化が違う!一緒にしないで欲しい!!」と豪語するのと似ており、また同席した京都北部出身者は「よく丹後と丹波を間違えられるけど、丹後は京都で丹波は兵庫県なんだけどな」と言っていた。
近畿地方で一番面積の大きい兵庫県では兵庫五国を擬人化したPRも行なわれているが、摂津国を神戸・阪神としている所が摂津国ではあるけど廃藩置県により現在は違うという主張と兵庫県民のプライドを感じずにはいられない。